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6歳児、ヨセフさまになる(記憶のかけら Vol.1)
いろんな国の人がいて、いろんな言語が飛び交っていて、「あたり前」に縛られない場所。 そんな環境にわたしはいつも強く惹かれ、そしてどこか安心する。この感覚の根っこにあるのは、カラフルな幼稚園時代の思い出と、「うわばき事件」に端を発するモノトーンの記憶だ。 東京・世田谷区で生まれたわたしは、小さな幼稚園で2年間を過ごした。そこはプロテスタントの流れをくんだキリスト教の幼稚園で、ささやかな園庭と、木目調の礼拝堂があった。 面接で「今日は何を食べましたか?」と聞かれて「ラーメン!」と答えたら合格した私を待っていたのは、たくさんの日本人の子どもたちと、グローバルな環境で育った数人の友だちだった。 幼稚園には英語の時間があった。といってもローマ字を読んだり英単語を覚えたりするくらいで、話せるようになるにはほど遠く、英語はわたしにとって呪文のようだった。それでも「バナナ!」「アップル!」と叫んだり、英語で歌ったり踊ったりするのは、子どもながらにうきうきした。英単語つきのイラストカードも、マジックで「KUMI」と書かれた誕生会の王冠も、英語の先生の雰囲気もとても


それは誰のための「正しさ」なのだろう
「あなたのためを思って」という言葉がある。 私はこの言葉が苦手だ。この言葉にはたくさんの危うさが潜んでいるから。そして、この言葉を聞くたびに苦い記憶がよみがえり、胸がぎゅっと苦しくなるから。 忘れられない思い出がある。小学生のときのことだ。...
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