Kumi SetoApr 26, 20234 min read6歳児、ヨセフさまになる(記憶のかけら Vol.1)Updated: May 29, 2023いろんな国の人がいて、いろんな言語が飛び交っていて、「あたり前」に縛られない場所。そんな環境にわたしはいつも強く惹かれ、そしてどこか安心する。この感覚の根っこにあるのは、カラフルな幼稚園時代の思い出と、「うわばき事件」に端を発するモノトーンの記憶だ。東京・世田谷区で生まれたわたしは、小さな幼稚園で2年間を過ごした。そこはプロテスタントの流れをくんだキリスト教の幼稚園で、ささやかな園庭と、木目調の礼拝堂があった。面接で「今日は何を食べましたか?」と聞かれて「ラーメン!」と答えたら合格した私を待っていたのは、たくさんの日本人の子どもたちと、グローバルな環境で育った数人の友だちだった。幼稚園には英語の時間があった。といってもローマ字を読んだり英単語を覚えたりするくらいで、話せるようになるにはほど遠く、英語はわたしにとって呪文のようだった。それでも「バナナ!」「アップル!」と叫んだり、英語で歌ったり踊ったりするのは、子どもながらにうきうきした。英単語つきのイラストカードも、マジックで「KUMI」と書かれた誕生会の王冠も、英語の先生の雰囲気もとても好きだった。同級生にマイケルくんという男の子がいた。マイケルくんには、アメリカ人のお父さんとショートカットで朗らかな日本人のお母さんがいた。マイケルくんとわたしは誕生日が同じだったこともあり、マイケルくんのお母さんはわたしのこともかわいがってくれた。マイケルくんは人気者だった。いつも女の子たちに追いかけられていた。「マイケルくーん!」と言いながら走る女の子たちと、逃げるマイケルくん。園の入り口にある百日紅の木の下で、わたしはマイケルくんと女の子たちの様子を眺めていた。どうして、女の子たちはみんなでマイケルくんを追いかけるんだろう。わたしにはよくわからなかった。そして、みんなと一緒に追いかけるより、マイケルくんと女の子たちを眺めているほうがわたしには楽しかった。どうやら、人や物事を観察するクセは幼稚園の頃から変わらないようだ。そして、「みんなと同じ」に意味を見出せないことも。そんなわたしの幼少期のハイライトは何かと聞かれたら、年長さんのクリスマス会だろう。キリスト教の幼稚園では毎年、12月になると園児全員参加のクリスマス会が開かれた。そして、年長さんは決まって「イエスの誕生」の劇をした。配役決めでは、女の子たちはこぞって天使をやりたがった。一方、男の子たちには羊飼いが人気だった。そんななか、誰も手を挙げない役があった。マリアさまの夫・ヨセフさまだ。わたしが覚えている限り、ヨセフさまはいちばんセリフが多かった。衣装は地味だし、それでいて出番は多いし、キラキラとしたものやカッコいいものが好きな幼稚園児にはまったく人気がなかった。でも、ヨセフさま役がいなければ、イエスの誕生の劇は成立しない。わたしは手を挙げた。なぜかわからないけれど突然「やる」と言った。まるくてぽっちゃりした女の子が、ヨセフさまの役? みんなが思う「あたり前」からはだいぶ離れていた。でも、やりたい人が誰もいないのだ。しかも幸いなことに、わたしは天使役にもマリアさま役にも興味がない。だったら女の子だからとか関係なくて、わたしがやったらいいんじゃないかなーー。どこからか、そんな責任感が湧き出てしまったのだった。今思えば、観察して、空気を読み、必要な場所に自分をプロットするというわたしの習性は、この頃からすでに育まれていたのだろう。そして、自分が「やる」と決めたら徹底的に、納得がいくまでとことんやるという特性も。こうして迎えたクリスマス会。わたしはひとつのセリフも落とすことなくヨセフさまを演じ切った。女の子が演じるヨセフさまを、大人たちはあたたかな眼差しで見守ってくれた。たくさんの拍手と笑顔をもらった。前年のクリスマス会ではセリフがほとんどない「おさるさん」役だったから、たった1年で目を見張るほどの“大躍進”だ。幼稚園の卒園アルバムには、先生からのこんなメッセージが綴られている。「どんなことでも、いやいややったりいいかげんにやったりすることのないくみこちゃんは、いちにちじゅう、まいにち、はりきってすごしてくれました」そして、こうも書かれている。「おはなしをよくきいて、よくかんがえることは、イエローさん(年中さん)のときからゆうめいでしたね」今のわたし、そのまんまだ。カラフルな幼稚園時代は、こうして幕を閉じた。そして、その後の人生を大きく変える「うわばき事件」が起きたのは、わたしが8歳のときのことだった。(つづく)
いろんな国の人がいて、いろんな言語が飛び交っていて、「あたり前」に縛られない場所。そんな環境にわたしはいつも強く惹かれ、そしてどこか安心する。この感覚の根っこにあるのは、カラフルな幼稚園時代の思い出と、「うわばき事件」に端を発するモノトーンの記憶だ。東京・世田谷区で生まれたわたしは、小さな幼稚園で2年間を過ごした。そこはプロテスタントの流れをくんだキリスト教の幼稚園で、ささやかな園庭と、木目調の礼拝堂があった。面接で「今日は何を食べましたか?」と聞かれて「ラーメン!」と答えたら合格した私を待っていたのは、たくさんの日本人の子どもたちと、グローバルな環境で育った数人の友だちだった。幼稚園には英語の時間があった。といってもローマ字を読んだり英単語を覚えたりするくらいで、話せるようになるにはほど遠く、英語はわたしにとって呪文のようだった。それでも「バナナ!」「アップル!」と叫んだり、英語で歌ったり踊ったりするのは、子どもながらにうきうきした。英単語つきのイラストカードも、マジックで「KUMI」と書かれた誕生会の王冠も、英語の先生の雰囲気もとても好きだった。同級生にマイケルくんという男の子がいた。マイケルくんには、アメリカ人のお父さんとショートカットで朗らかな日本人のお母さんがいた。マイケルくんとわたしは誕生日が同じだったこともあり、マイケルくんのお母さんはわたしのこともかわいがってくれた。マイケルくんは人気者だった。いつも女の子たちに追いかけられていた。「マイケルくーん!」と言いながら走る女の子たちと、逃げるマイケルくん。園の入り口にある百日紅の木の下で、わたしはマイケルくんと女の子たちの様子を眺めていた。どうして、女の子たちはみんなでマイケルくんを追いかけるんだろう。わたしにはよくわからなかった。そして、みんなと一緒に追いかけるより、マイケルくんと女の子たちを眺めているほうがわたしには楽しかった。どうやら、人や物事を観察するクセは幼稚園の頃から変わらないようだ。そして、「みんなと同じ」に意味を見出せないことも。そんなわたしの幼少期のハイライトは何かと聞かれたら、年長さんのクリスマス会だろう。キリスト教の幼稚園では毎年、12月になると園児全員参加のクリスマス会が開かれた。そして、年長さんは決まって「イエスの誕生」の劇をした。配役決めでは、女の子たちはこぞって天使をやりたがった。一方、男の子たちには羊飼いが人気だった。そんななか、誰も手を挙げない役があった。マリアさまの夫・ヨセフさまだ。わたしが覚えている限り、ヨセフさまはいちばんセリフが多かった。衣装は地味だし、それでいて出番は多いし、キラキラとしたものやカッコいいものが好きな幼稚園児にはまったく人気がなかった。でも、ヨセフさま役がいなければ、イエスの誕生の劇は成立しない。わたしは手を挙げた。なぜかわからないけれど突然「やる」と言った。まるくてぽっちゃりした女の子が、ヨセフさまの役? みんなが思う「あたり前」からはだいぶ離れていた。でも、やりたい人が誰もいないのだ。しかも幸いなことに、わたしは天使役にもマリアさま役にも興味がない。だったら女の子だからとか関係なくて、わたしがやったらいいんじゃないかなーー。どこからか、そんな責任感が湧き出てしまったのだった。今思えば、観察して、空気を読み、必要な場所に自分をプロットするというわたしの習性は、この頃からすでに育まれていたのだろう。そして、自分が「やる」と決めたら徹底的に、納得がいくまでとことんやるという特性も。こうして迎えたクリスマス会。わたしはひとつのセリフも落とすことなくヨセフさまを演じ切った。女の子が演じるヨセフさまを、大人たちはあたたかな眼差しで見守ってくれた。たくさんの拍手と笑顔をもらった。前年のクリスマス会ではセリフがほとんどない「おさるさん」役だったから、たった1年で目を見張るほどの“大躍進”だ。幼稚園の卒園アルバムには、先生からのこんなメッセージが綴られている。「どんなことでも、いやいややったりいいかげんにやったりすることのないくみこちゃんは、いちにちじゅう、まいにち、はりきってすごしてくれました」そして、こうも書かれている。「おはなしをよくきいて、よくかんがえることは、イエローさん(年中さん)のときからゆうめいでしたね」今のわたし、そのまんまだ。カラフルな幼稚園時代は、こうして幕を閉じた。そして、その後の人生を大きく変える「うわばき事件」が起きたのは、わたしが8歳のときのことだった。(つづく)
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