中学生との対話①「なぜ、政治家にならなかったんですか?」
- Kumi Seto

- 2 days ago
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Updated: 6 hours ago

先日、とある私立中学校で、世界の今とこれからについてディスカッションしました。中学生からたくさんの質問をいただきましたが、きちんと答えたかったので後日、文章でお返事を送りました。ここでは2回に分けて、Q&Aの一部を公開します。
Q. 宗教の対立や、宗教上の紛争を解決する方法はあるんですか?
歴史を振り返っても、宗教の対立や紛争を完全になくすのはとても難しいことだと私は理解しています(「正しい悲観主義者」にはなりたくないですが)。なぜなら、宗教の問題は信じていること(世界観)の違いだけではなく、歴史や政治、暮らしの不安、差別や格差など、いろいろな問題と結びついているからです。国際関係学でも、宗教だけを原因と見るのではなく、政治や経済、文化などをあわせて考えることが大切だと言われています。
ただ、だからといって歩み寄りの可能性がまったくないわけではありません。むしろ、今の世界ではグローバル・メディアの広がりによって、国や宗教を超えて同じ映像を見たり、似た価値観を共有したりする機会が昔よりも増えていると私は思います。もちろん、国によっては海外の情報を得られなかったり、メディアが対立を強めたり煽ったりすることもありますが、相手の苦しみや日常を知ることで「自分たちとはまったく違う人」ではなく、「同じ人間」として見るきっかけにもなり得るという、「間違っているかもしれないけど楽観的」な考え方を、私個人は持っています。
対立をやわらげる第一歩は、宗教の違いの前に、人間として共通する願い=安全に暮らしたい、大切な人を守りたい、尊重されたいなど=を認識できるかどうかにあるのだと私は思います。共通点を土台にして対話を続けること、想像力を高めることが、遠回りに見えてもとても重要だと私は考えています。皆さんはどう思いますか?
Q. スポーツやビジネスの世界でトップに立つような人には、いじめや極度の貧困など、つらい経験をしてきた人が多いという印象があります。何も不自由なく、また裕福でもない普通の家庭に生まれ育った人が何かを成すには、どういったことを意識するべきだと思いますか?
ご質問をありがとうございます(この間、せっかく待っていてくれたのにお答えできなくてごめんなさい。こうして改めて質問してもらえて良かったです)。
確かに、いじめや貧困のようなある種の逆境をエネルギーに変えて、大きなことを成している人はたくさんいます。けれど、だからといって、そういう強烈な体験がないと大きなことを成し遂げられないわけではもちろんありません。実際、私が日々の取材活動を通じてお会いする起業家や経営者の中にも、着眼点の良さや行動力で世の中にインパクトを起こしている人はたくさんいます。本当に、たくさん。
では、「普通の家庭に生まれ育った人」が何を意識すればいいのか。私は、まず「外に出ること」が大事だと思います。誰かのために何かしたいという気持ちは、大きなエネルギーになります。「これはおかしい」と感じる強い違和感も、人を動かします。そうした思いは、必ずしも自分が逆境の中にいないと生まれないものではありません。
中学生・高校生のときに積極的に今いる枠から飛び出して、いろんな世界を見て、そこで出会った誰かや何かのために商品やサービスをつくりたい、その人たちの環境を良くしたい、という純粋な思いから行動を始めて、物事を成し遂げた人は大勢います。
大切なのは、自分で見聞きすることです。現場に行く、人の話を聞く、知らない世界に触れる。そうすると、自分が何に心を動かされるのか、五感が働くのかが見えてきます。何にワクワクするのか、何に怒りを感じるのか、どんな場面で「放っておけない」と思うのか。そういう感情を「流れるままにしておかない」ことが大事だと私は思います。強い原体験がなくても、好奇心を持って世の中に飛び込み、自分の感性を育てていけば、それが自分だけのパッションや原動力になっていくのです。
まとめると、もし何かを成したいなら、まずは今いるコンフォートゾーンから少し出てみることをおすすめします。大きな逆境を待つ必要も、経験する必要もありません。私自身、後から振り返れば「出来事のすべてに意味があった」と今は思いますが、いじめられる経験や逆境体験なんて、しないで済むならそのほうがいい。大事なのは、外の世界に触れ、自分の心が動く対象を見つけ、それを放っておかないことだと思います。
*以下はおまけです。
私は、原体験の話を強調しすぎることには少し慎重でいたほうがいいかもしれないな、と思っています。なぜなら以前、起業家から原体験の話を聞いた若い人から、「自分にはそんな特別な経験がないから、大きなことを成し遂げるのは無理かもしれない」という言葉を聞いたことがあるからです。挑戦意欲があるのに、原体験を話すことによってその意欲を削いでしまう可能性があるのかと、ハッとしました。
この前、私は初めて公の場で中高時代にあったいじめの話をしました(皆さんがつくってくれた空気が、ごく自然に、私からその話を引き出してくれたのです)。それが聞き手の皆さんにとって本当に良かったのかは、正直わかりません。でも、そのおかげでこうして想いをやり取りできたので、よかったのかもしれないなと今は思っています。
Q. 学生時代にいじめを経験し、集団や社会のあり方に疑問を抱いたからジャーナリストになったと話していましたが、なぜ政治家ではなくジャーナリストという仕事を選んだのですか?
なるほど! 興味深いご質問をありがとうございます。
ジャーナリストを選んだのは、「なぜこうなったのかを知りたい」という気持ちが強かったからです。
いじめを受けたとき、私が感じた違和感は「なぜこんなことが起きるのか」「なぜ誰も止めないのか」「この社会の何がそれを生み出しているのか」ということでした。当時の私は、原因や背景を深く知り、これらの「問い」について考え続けたかったのです。そして、解の糸口を追いかける(取材を通じて人や社会の現状を知る)過程で得た知見やストーリーをシェアし、みんなで一緒に考えることが、社会をよりよく変える力につながり得ると思っていました。
また、私がジャーナリストを志した時代は、今のように個人がSNSで世界に向けて声を届けられる時代ではありませんでした。メディアを通じて伝えることには、特別な意味と重みがあると思っていました。いわゆるマス・メディアを通じて幅広い人たちに一斉に問いを投げかけ、世論を動かすことへの可能性を信じていた部分もあります。
ジャーナリストと政治家は、社会を変えるアプローチが異なります。政治家は制度や法律を直接的に動かす力を持ちますが、時間的なものを含めて制約も大きい。一方で、ジャーナリストは「無責任」と批判されることもありますが、社会に「問い」を立て、人々が自ら考えるきっかけをつくる役割を担うこともできる存在だと私は考えています。
どちらが優れているという話ではなく、私には後者のアプローチのほうが自分の資質に合っていた(し、今も合っている)と思います。
(中学生との対話②に続きます)



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