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古い秩序はもう戻らない。「ダボス会議」が突きつけた現実と「人間の鼓動」

  • Writer: Kumi Seto
    Kumi Seto
  • 2 days ago
  • 6 min read
第56回世界経済フォーラム年次総会(通称「ダボス会議」)が閉幕した。今年のダボスには130カ国以上から約3,000人のリーダーが集結し、過去最多となる約400人の政治指導者、約65人の国家元首および政府首脳が参加した。世界トップクラスのCEOや会長、ユニコーン企業やテクノロジー・パイオニアも顔を揃え、「対話の力」(A Spirit of Dialogue)をテーマに平和や安全保障、テクノロジー、経済成長、人への投資などについて議論を交わした。

今回のダボス会議で痛感したのは、第二次世界大戦後に築き上げてきた常識や規範、秩序はもはや通用しないということだ。各国のトップは複雑な地政学的背景や緊張関係を露呈し、多くの課題を提起した。米国と欧州の間に生じた亀裂が繰り返し語られ、指導者たちはさまざまな考えを示した。

カナダのマーク・カーニー首相は演説のなかで「世界秩序の断絶、美しい物語の終焉、そして大国間の地政学が一切の制約を受けない残酷な現実の始まり」について語った。

古代ギリシャの歴史家トゥキディデスの警句――「強者はしたいことをして、弱者はそれを耐え忍ぶ」――が再び前面に出てきている、と彼は言った。「大国」は経済的統合を武器とし、関税を力とし、金融インフラを威圧の手段にしている。地理的な条件と同盟関係によって自動的に繁栄と安全がもたらされるという、これまでの「安楽な前提」はもはや通用しないと断言した。

そして、こう続けた。「弱き者の力は誠実であることから始まる」。カナダのようなミドルパワー(中堅国家)は決して無力ではない。人権の尊重、持続可能な開発、連帯、主権、領土の一体性といった価値観を体現し、新たな秩序を構築する能力を持っている。偽りを止め、現実を直視し、共に行動する力。それこそがミドルパワーの主権の源泉なのだと強く訴えた。


古い秩序を手放し、現実を直視せよ。この言葉は、テクノロジーの指数関数的な発展にも通じる。今年のダボスでは、AGI(汎用人工知能)が数年以内に現実のものとなるかもしれないとの予測が語られた。そうなれば、私たちは生きる目的や働く意味を根本から問われるだろう。

2024年にノーベル化学賞を受賞したGoogle DeepMind共同創業者兼CEOのデミス・ハサビスは、自身が登壇したセッションで「(AIの進化による雇用の喪失は)人間の状態や人類全体に何が起こるかという問題よりも、解決が容易かもしれない」としつつも、「新たな答えを見つけられるのではないかと楽観的に考えている」と語った。

「今日私たちが行っている多くのこと、例えばエクストリームスポーツ(離れ技を売りにしている過激なスポーツ)やアートなどは、必ずしも経済的な利益のためだけに行っているわけではない。私たちは意味を見いだし、そうした活動のより洗練されたバージョンが生まれるかもしれない」(ハサビス)

ダボス会議4日目の午後、テスラCEOのイーロン・マスクは壇上からこう呼びかけた。「間違っている楽観主義者でいるほうが、正しい悲観主義者でいるよりも人生の質が高くなる」。


秩序の崩壊を嘆くのか、新たな可能性を描く機会と捉えるのか。どちらを選択するのかは、私たち個々人の意思に委ねられている。

あらゆる会話の根底にある「人間の鼓動」

最終日の朝、私はメーン会場に設置された巨大なインスタレーションの前に立った。アーティスト兼テクノロジストのロネン・タンチュムによる『Human Atmospheres』。世界経済フォーラムの依頼で制作されたこの作品は、参加者の動きに応じて画面に映し出された環境が変わり、人間の存在によって「生きたデジタル生態系」を形作るインタラクティブなジェネレーティブ・アートである。


この作品の前に立ったとき、5日間を通じて初めて私は「ここに在る」という感覚を覚えた。私の後ろを人々が行き交う。今ここに立つ自分と、偶然にも重なり合う通りすがりの参加者が作品のなかで溶け合う。私はこの空間にとって、どのような存在なのか。私という存在はどのように「在る」のか。

世界はノイズで溢れている。会期中のダボスも常に喧騒の中にある。ある者はビジネスセールスに明け暮れ、ある者はコネクションづくりに必死になる。メディアは我先にニュースを報じようと競争に明け暮れる。そんななか、アートに入り込んだ自分を見た瞬間だけは、ダボスの会場に在る自分の鼓動を感じ、自らと対話する余白を持つことができたのだった。

カーニーが語った「誠実さ」とは、自分と対峙することから始まるのではないか。自分がどこに立ち、何者であり、誰とつながっているのかをまず感じること。政策や戦略の前に、自分という存在の鼓動を認識し、思慮深くあること。内省を深めるなかで、世界経済フォーラムでアート&カルチャー部門長を務めるジョゼフ・ファウラーが話していたことを思い出した。

「世界的な不確実性や分断、テクノロジーの急速な進化が特徴的な現代において、対話が分析的なものにとどまれば、それは取引的あるいは防御的なものになってしまう恐れがある。アートはリーダーたちに、真の関与とは単にアイデアを交換することだけでなく、あらゆる決断、あらゆる政策、そしてあらゆる会話の根底にある人間の鼓動を認識することだと気づかせてくれる」(ファウラー)

ダボスの会場では、ほかにも複数のアート作品が異空間を演出していた。マリーナ・アブラモヴィッチの『THE BUS』は、スピードや生産性などに支配された世界で意図的に立ち止まり、呼吸し、今ここに戻るための場を生み出していた。JRによる『Wrinkles of the City』(都市の皺)は、高齢者の肖像画を公共のアートに変え、記憶と歴史の意味を問いかけた。タイス・ビアステーカーの『Forestate』(森林化)は、ユネスコが認証した『グローバル・フォレスト・ウォッチ』のデータを彫刻作品へと変容させた。


『Human Atmospheres』の前で得た、他者との境界が曖昧になる感覚。それは、カーニーが訴えた「連帯」の最も原初的な形だったのかもしれない。ファウラーは言う。

「アートは意味のある対話を促進するうえで中心的な役割を果たす。なぜなら、アートは人々が言語やデータ、立場を超えてつながる空間を創り出すからだ」(ファウラー)

今回のダボスでは、相容れない感情やメッセージが飛び交った。同意することの難しさにも直面した。「対話の力」はどこに行ったのか。そう思う瞬間も少なくはなかった。

だが、5日間を終えて考えが変わった。同じ時期に、同じ場所に立ち、自らの考えや意思を表明すること。そこから対話が始まるのだ。国家元首やリーダーたちの話を聞き、それに対して自らの意見を述べ、参加者同士で対話を重ねる。メッセージを自分なりに咀嚼し、対話を通じて理解を深める姿に、時と場所を共にすることの意味を見出すことができた。

世界秩序の断絶と、人間を凌駕するAI出現の可能性。私たちは今、人類の営みがドラスティックに変わる転換点にある。古い秩序は、もう戻らない。

日本に帰国した今も、多くの問いが日々語りかけてくる。世界は揺れ動いている。だが、揺れ動く場所には常に生命の息吹がある。生命が息づくところにのみ、希望は宿る。

私たちに求められているのは、社会と、そして自らの内面との対話だ。対話を重ねた先に、新たな秩序とより良い世界の輪郭が浮かび上がると信じたい。

写真/世界経済フォーラム
 
 
 

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