企業とクリエイターによる「偽動画事件」が示すこと

嘘とウワサ

2026/10/20

6月下旬の昼下がり。デスクワークがひと段落したところに、LIAR Labのモニターにアラートが届いた。

「所長。ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)が興味深い調査報道を上げています 。1億4000万回再生されている『大儲け』コンテンツーーその正体について」

これはIRIS(Integrated Rumor Intelligence System)、私の研究パートナーだ。彼女は世界中のメディアと情報空間を常時スキャンし、「嘘の匂いがするもの」を拾い上げて私のデスクに届けてくれる。

モニターに展開されたWSJの記事を読み始めて、私はすぐに手を止めた。

記事には複数の縦長の動画が貼り付けてあった。記事の冒頭にある動画では、学生らしき男性がドナルド・トランプ米大統領のスピーチの様子を食い入るように見ていた。トランプが「マクドナルド」と言った瞬間、彼は飛び上がり、興奮した面持ちでパソコン上に映し出されたチャートを指差した。トランプ氏がその月に公の場で「マクドナルド」と言うかどうかに賭けて、10万ドルを獲得したという。

WSJの記事によると、彼の名前はジョージ・マキハラ。マキハラが指さしていたのは、アメリカの予測市場「ポリマーケット」(Polymarket)らしき賭け事プラットフォームだ。議会選挙の結果からワールドカップの勝敗に至るまで、さまざまなイベントに賭けることができる。

男性が飛び上がった瞬間は、まさにトランプ氏が「マクドナルド」と言った瞬間だった。ぱっと見た限り、マキハラは賭けに勝ったようだ。しかし、WSJが独自調査で暴いた真実はこうだ。「この賭けは、実際には行われていなかった」。

WSJによると、マキハラが見ていたトランプ氏の映像は2カ月前のものだ。マキハラが賭けていた2026年1月は、トランプ氏は公式の場で「マクドナルド」と言うことはなかったという。

公開データによると、同じ時期にポリマーケットのサイト上で「トランプ氏がマクドナルドと言うかどうか」を賭けていたユーザー数は50人以上にのぼる。そして、彼らは全員、賭けに負けていた。

マキハラの動画に映っていたのは、ポリマーケットのウェブサイトとそっくりに複製した「偽サイト」だったのだ。

偽りの「賭け事」で報酬を得るカラクリ

WSJは2025年12月から5月中旬にかけて、ポリマーケットの請負業者が推薦する10人のクリエイターが投稿した1100本を超える数の公開動画を分析した。その結果、クリエイターたちは実際のポリマーケットのサイトではなく、同社が構築した偽サイト上で取引を演じていたことを確認できたという。

本物のサイトと偽サイトを見分けるポイントは何だったのか。

たとえばサイトのURLだ。偽サイトのひとつは「poiymarket.com」というURLが使用されていた。小文字の「l」が「i」になっていて、大文字で表示すると本物と区別がつかなくなる(注:WSJの報道後、同サイトは閉鎖されている)。

ほかにも、クリエイターが撮影した動画からは、本物のサイトにはないグラフの出典表記がある、ボタンの表示が「YES/NIR」(本物はYES/NO)になっているなど、不審な点がいくつも確認できたという。

WSJの報道によると、1100本超の動画のうち、約118本が賭けに勝ったことを伝えていた。賭けを通じて彼らが儲けた(とされる)総額はおよそ90万ドルにのぼるが、実際のサイトで彼らと同じ賭けをしていれば16万6000ドルを失っていたという。つまり、賭けも勝利も偽装されたものだったのだ。

アナリティクス企業Tubularの計測によると、これらの動画群の累計視聴数は1億4000万回にのぼるという。なぜ、クリエイターたちは架空の取引を動画に収め、勝利を喜ぶ様子を拡散したのか。その理由は明快だ。報酬である。

WSJの記事には、ポリマーケットのマーケティングを担った請負会社がクリエイターたちにどのような指示を出していたのか、隠蔽するためにどのような策を講じていたのかなどが綴られている。著作権の関係から詳細は差し控えるが、クリエイターへの報酬は月額2000から3000ドル程度だったという。一連の報道を受けて、ポリマーケットは「実態把握と是正に向けた対応策を検討する」としている。

「つまり、これは倫理観のない企業とクリエイターが仕掛けた特殊な『偽動画事件』なのですね」。IRISが私に聞いた。

「いや、特殊な事例としてしまうと、本質を見誤るんじゃないかな」と私は答えた。私がWSJの記事を読んで真っ先に思ったのは、「『偽情報エコノミー』が進化している」ということだ。

進化の過程を紐解くために、ここで少し、偽情報ビジネスにかんする過去10年間の出来事をさかのぼってみよう。

(第4回につづく)

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    • 瀬戸 久美子

      Forbes JAPAN Contributing Editor / 特集デスク兼任|東京都市大学特任教授|中央大学国際センター学生起業支援コーディネーター | インタビュアー・モデレーター・研究者

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